引用:https://www.oricon.co.jp/news/2257865/full/
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女性アイドルグループ・日向坂46の元メンバーの影山優佳(かげやま ゆうか)さんは、サッカー審判4級の資格を持つほどのサッカーマニア。
選手についてはもちろんのこと、チームの戦術などにも詳しい元アイドルです。
そんな彼女の実家はお金持ち?ご両親は何をされている方?弟さんのことなど、家族について調べてみましたのでお伝えしていきます。
目次
影山優佳の父が勤めているのはみずほ?日産?
引用:https://www.mizuho-fg.co.jp/release/20201106_2release_jp.html
影山優佳(かげやま ゆうか)さんのお父様は、日産の役員をされていた経歴があり、現在はみずほファイナンシャルグループに籍を置いておられるようです。
彼女のお父様の最終学歴は京都大学ということなので、当然ながらお勤めも大企業におられて、間違いないですね。
お父様は日産から、日産のメインバンクでサッカー日本代表のオフィシャルパートナーでもある「みずほファイナンシャルグループ」に転職されたためか、優佳さんがサッカー関係の番組への出演が急に増えたということです。
もちろん、優佳さんご自身がサッカーについてとても詳しいから出演依頼が増えたためで、人間なにか強いものを持っていると強いですよね。
影山優佳(かげやま ゆうか)さんがサッカーオタクなのは、お父様が日産の元役員で子会社でJ1・横浜F・マリノスの運営に携わってこられたことがきっかけのようです。
ですが、いくら父親の仕事がサッカー関連であったとしてもサッカーに興味がなければ今日のようなサッカーオタクは生まれなかったでしょう。
ちなみにですが、彼女の弟さんもマリノスのジュニアユース入団されました。
影山優佳(かげやま ゆうか)さんのご実家、ご両親、弟さんはアノ中高一貫校?
引用:影山優佳Instagram
ごらんのように、影山優佳(かげやま ゆうか)さんはお父様が大企業にお勤めの関係から、ご実家は裕福な家庭で育ったものとして間違いなさそうです。
また、彼女のお母様は、かつて「もんじゃ焼き屋さん」をやっておられたそうです。
実は、「日向坂で会いましょう」(テレビ東京系)の番組で、影山優佳(かげやま ゆうか)さんご本人の口から「私、母がもともと、もんじゃ屋さんやってまして」と家族の情報を暴露したようです。
それが証拠に、彼女の家のリビングにはもんじゃ屋と同じサイズの鉄板が置いてあり、鉄板の下にはコンロが設置されている、いわゆる店舗仕様の鉄板がドンと置かれているそう。
また、伝統としてウスターソースも入れていることも公表されたようですが、残念なことにお母様経営のもんじゃ焼き店は2年前に閉店されたみたいですね。
お父様はサッカー関係の有力者、お母様はもんじゃ焼きの元経営者。影山優佳(かげやま ゆうか)さんは、いわゆる「ええしのこ」ではなく、むしろ勢いのある元気な庶民、といったところでしょうか?
弟は、アノ「暁星小中高」の一貫校だった
引用:https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/documentary/entry/202310/14049.html
さて、1歳年下の弟さんはサッカーエリート。名門・暁星小学校に入学してからずっと暁星中学、暁星高校とサッカー一筋で頑張ってきたようです。
中学で横浜F・マリノスの下部組織に入団し、高校に入って再度、暁星サッカー部に戻ったということなんですねー。
さらに、高校2年生からは街クラブの強者、三菱養和SCユースに移籍したそうです。
そして、彼女の弟が「芯の強い男」と言われるエピソードがあります。
大学進学の際、弟さんは担任から指定校推薦で他大への進学を勧められたようです。ですが、自身の意思を貫き通し、国士舘大学に決めたそうなんですねー。
「マリノスは技術的に優れたチームで、とにかくポゼッションの練習が多くて、暁星でずっと走り込みのチームを経験して。養和は比較的自由で、長所を生かす中でやらせてもらって。
その中で自分がプロになるためにどういうチームかと考えた時に、自分は技術的なところが長所だと思ったけど、上手い人は本当に上手い。
だから技術的な練習が多い大学に行ったら僕はつぶれるなと思った。国士舘は努力が評価される場であるなと感じた。
その頑張りを、プロセスを、評価してくれるの国士舘が一番自分に合う場であると感じたので決めました」
https://web.gekisaka.jp/news/university/detail/?382154-382154-fl
そんな弟さんの名前は、ナント!「秀人(しゅうと)」君と言います。しかし、ご本人曰くはシュートが一番苦手のよう。
何でも、弟さんは2002年のワールドカップの年に生まれたということで、ご両親はサッカー選手になってほしくて「秀人(しゅうと)」君と名付けたそうです。
国士舘大学MF影山秀人がキャリア終了
突然、サッカー人生の終了を発表した影山秀人さんは、横浜F・マリノスのジュニアユース出身で、その後三菱養和SCのユースに加入し、国士舘大学へ進学しました。
今年が4年生で、昨年度はベンチ入りや試合出場も経験しましたが、昨年10月28日の明治大学戦が最後の出場となったのです。
影山さんは自身のX(旧ツイッター)を通じて、今年3月の練習中に意識を失い、後遺症が残ったため競技を続けることが難しくなったと明かしました。これまでのキャリアを振り返り、感謝の気持ちを述べています。
「3月の練習中に意識を失い、命こそ助かったものの後遺症が残り競技としてサッカーをプレーすることができなくなってしまったからです。」
第一線でサッカーに関わることはできなくなってしまいましたが、この先も大好きなサッカーに関わることがあるのでしょうか。
「これまで僕を直接指導してくださった方々、応援・サポートしてくださった方々のおかげで最高のサッカー人生を送ることができました。その方々への感謝の思いを第2の人生を通して表現していきます。 影山秀人、強く生きます!!」
と結んでいらっしゃいます。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます☆彡